直球博物館

2025年

おかげまいりとは江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣のことで、
60年周期(おかげ年と呼ばれる)で起こった。

もともと伊勢神宮は天皇家の氏神であり、民衆と伊勢神宮の距離は大きかった。
『更科日記』でも、
貴族社会に属する菅原孝標女ですら天照大神が仏なのか神なのかもわからず、
ましてやその神宮の所在地も知らないというくだりがある。
さらに貴族社会の凋落と武家社会の勃興により、伊勢神宮は経済的に困窮し、
20年に一度新築することとなっていた慣例も行えないほど荒廃していた。
そこで江戸時代になって
御師(伊勢神宮の世話役)が各地を回り参詣してもらえるようPRを始めた。
御師がツアーコンダクターとなり手取り足取り世話をしたし、
お参りを済ませた後には京や大坂などの見物を楽しめた。
このような風潮から
一生に一度はお伊勢さんにお参りしたいものだとまで言われるようになる。

おかげまいりの中には、主人に無断でやってきた子供・妻・奉公人などもいた。
これを抜け参りと呼ぶ。
お伊勢参りをしたいと言い出したら主人はこれを止めてはならないとされていた。
神罰があたるからである。
また主人に無断で旅に出ても、
お伊勢参りをしてきた証拠としてお守りやお札などを持ち帰れば
おとがめは受けないことになっていた。

抜け参りは着の身着のまま家を出てきた者が多いので、道中の人々がこれに協力した。
これを施行という。
富裕層から城主・藩主までが、
銭・飯・笠・杖・草鞋・薬などを配り、宿・風呂まで提供した。
しかし、この施行は善意から出たものではなく、
集団が暴徒化するのを防ぐために先手を打っていたにすぎない。
そしていつまでもこのような施行を続けてはいられない。物資も払底してくる。
そこでだいたい2ヶ月経つと金の切れ目が縁の切れ目、
時期を見計らって支配者が施行中止を申渡す。

慶安03年(1650)は江戸時代最初のおかげまいりでは、
人々は白装束を着て組ごとに旗を立てて歩いた。

宝永02年(1705)のおかげまいりは、2ヶ月間に330万~370万人が伊勢神宮に参詣した。

享保08年(1723)の参詣者は、
太鼓・笛・鼓・三味線をかき鳴らし、異様な衣服を身に着けて囃し立てて歩いた。

明和08年(1771)の参詣者は「おかげでさ、ぬけたとさ」と囃し立てながら歩いた。
集団ごとに旗を立て出身地や参加者を書いていたが、
段々と滑稽なものや卑猥なものを描いたものが増えた。
お囃子も老若男女がそろって卑猥な言葉を言うようになった。

文政13年(1830)の参詣者にはひしゃくを持つのが流行り、
ふんどしまで締めた男装をして囃し歩く女性集団もいた。
門前に捨てられた山と積まれたひしゃくの絵が残っている。

慶応03年(1867)のおかげまいりは最後のおかげまいりで、別名ええじゃないか。
「ええじゃないか、ええじゃないか」と囃しながら、踊り狂った。
明治に変わる前年ですね。

疲れてきたら「ええじゃないか、ええじゃないか」と囃しながら、
草鞋のまま泥足のまま他人の家に上がりこみ、勝手に酒を飲み、食事をし、眠る。


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参加者の証言

■着物でも道具でもなんでも良いものがあったら、「これ、くれてもええじゃないか」と言ってなんでも取っていった。
■普段嫌いな奴の家へ行って「ええじゃないか、ええじゃないか」と言いながら畳・建具・道具を壊しまくった。
■米屋に行って「米もらってもええじゃないか」と米を大量に持ち出し、どんどん炊いて配った。
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こんな状態が1年弱続いたのである。

「ええじゃないか」ではもうお伊勢参りは関係なかったようですね。

地元で騒いでいたようだし。

コアな集団は宗教目的、政治目的などのたくらみを持っていたのだろうが、
ここまでの人数に膨れ上がると
大部分は踊らにゃソンソンとばかりにブームに熱狂しただけであろう。
集団ヒステリーというか集団陶酔というか。

「将軍さんの世になるのか、天子さんの世になるのか、
どっちがどっちかわからなかったからみんながあんなに暴れたんだと思う」

打ちこわしでもなく一揆でもなく革命でもない、ええじゃないか。
鬱積したエネルギーを放出した結果、
幕藩体制から天皇制への移行はスムーズに行われてしまった。
これはたくらんだ連中の思い通りだったのか否か。
そして民衆にとって良いことだったのか否か。



老若男女が、男が女の、女が男の、老婆が娘の格好をしたり、
褌一丁・腰巻一丁の丸裸もあり、グループで忠臣蔵などのコスプレをした者もいるとか。
絵にはキツネのかぶりもの?をした人までいますね。

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1593年の証言

乳房は高く高く持ち上げられている。
真ん丸い魅惑的な乳首は、大胆というか不道徳というか、
触ってくださいと言わんばかりにはみ出ている。
ありのままの姿を最上とする天然の果実のようなものだ。
またまさに果実のごとく食べられることを欲している。

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長年疑問だった西洋服飾史における乳丸見せ問題に一つの解答を得ることができました。
乳房を見せるか見せないかについては、何世紀にもわたって論議がされてきた。
乳房の露出を批判する書物もたくさん出版された。
乳首ピアスが流行した時期もあった。
左右の乳首にチェーンを渡してネックレスのようにする場合もあった。
要するに乳を丸見せするファッションは
現れては消え、現れては消え、存在したということですねえ。


18世紀 中期




西洋では赤ちゃんを布でぐるぐる巻きにする習慣が長い間続いていました。
これはスワドリングと呼ばれ、両脚をまっすぐにするために行われていたのです。
しかし赤ちゃんの脚を無理に伸ばすのはかえって股関節異常を招くので、
歴史上の王子や王女に脚の不自由な人が多いのもこの習慣のせいかもしれません。


フランス国王ルイ14世と乳母




包帯からニット素材になってちょっと快適?




子供が成長して2~3歳になると、今度は檻のような枠の中で何時間も立たせておきます。
こういう段階を科してやっときちんと二本足で歩けるようになると信じられていたのです。





フランス国王アンリ2世&王妃カトリーヌ・ド・メディチの子供たち
エルキュール・フランソワ王子と双子のジャンヌ王女&ヴィクトワール王女
こ、これはあまりにも…た~らこ~が や~ってくる~♪




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18世紀イギリスでは、貴族の子弟たちを国際人に養成するために
ヨーロッパに遊学させるグランドツアーが流行していた。
当時文化的先進国であったフランスとイタリアが主な目的地で、一種の修学旅行である。
しかし私たちの修学旅行とはケタが違う。
日常生活に困らないよう使用人を多数引き連れ、
オックスフォードかケンブリッジの家庭教師を雇う。
現地では政治・経済・文化・語学などを家庭教師から学び、観光や買い物、お土産選びを楽しむ。
その期間は数年に及ぶ。
ローマでは、遺跡やルネサンスの作品を観て、ローマ帝国の偉大さに思いを馳せる。
貴族の子弟たちが触れるのは文化や伝統の香りばかりではなく、現地の悪臭だ。
道は泥んこ、宿屋のベッドは虫だらけ、パリもローマも糞と汚水にまみれた街だったのだ。
公衆衛生はイギリスの方が優れていたようだ。
またグランドツアーでやってくるおのぼりさんをカモにしようとする現地の人間が
手ぐすね引いている。
娼婦を買って病気をもらったり、賭博でいかさま師に騙されたり、
偽物の美術品をつかまされたり。
イギリス人はイギリス人同士で固まるので、語学も身につかない。
パリでは彼らはフランス風の衣服を身にまとい、
イギリスらしい田舎じみた痕跡を抹消しようとした。


フランス風に頭を盛り上げ、化粧をして帰ってきた息子の姿に仰天している父親の風刺画。
まさに放蕩息子の帰還である。





18世紀、流行のファッションは蝋人形で届いた。
上流階級には服屋から最新ファッションを身に着けた小さな蝋人形が届く。
蝋人形は最新ファッションをまとっている。つまりこれは<カタログ>なのである。
しかしブルジョワ階級の勃興により沢山のカタログを送る必要に迫られた。
そこで蝋人形に代わる見本として印刷物がとって替わった。
ファッション・プレートの誕生である。

これまでファッションの発信地はイタリア、オランダ、イギリス、ロシア…と様々であり、
一国が独占することはなかった。しかしファッション・プレートの誕生により、
フランスがヨーロッパのモードを支配するようになったのである。
それまでにも衣装に関するプレートは存在した。
しかしそれは王族などの衣装の記録や、民族の風俗・衣装の記録版画であり、
新しい流行を知らせるものではなかった。

そこで18世紀までの物はコスチューム・プレートと呼ばれ、
それ以降の物はファッション・プレートと呼ばれる。
このファッション・プレートは19世紀末で無くなっていくが、
ファッション・ブックやファッション・マガジンに発展していく。


当時の風俗もわかる

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男性服の流行もわかる

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子供服の流行もわかる

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ドレスの前と後がどのようになっているのかがわかる
(当時既製品は存在しませんから、仕立屋さんに頼む時にも自分で作る時にも必要)




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